八番札所 曹洞宗 龍谷山 常現寺
常現寺 縁起
常現寺は寺伝によると、当寺の開山覚雄宋鑑禅師が旅の途中、東海道小夜の中山の一角「沓掛」の辺りに差しかかると、村人たちが泣きわめく一行に出会った。禅師は不思議に重いことの次第を尋ねると、この下の谷、水井の地に龍が棲み夜な夜な街道に出没して悪さをすると云う、昨夜も子供一人が喰われたと言って恐れおののいていた。禅師はこれを聞き、草深き水井の地に降り立ち、坐禅三昧に入りその法力により龍をこの地に封じ多くの人々の延命と安泰を祈念して延命地蔵尊を祀り寺を建立。山号を「龍谷山」と号し、寺号を『常現寺』と称した。以来500有余年、歴代住職二十三代に渡って法灯連綿として今日に受け継がれている。
札所本尊の十一面千手観音菩薩は、元常現寺末寺、現当山奥の院に成っている粟ヶ岳観音堂に安置されており、現在当寺に奉安されている観音さまは「御前立観音」といって、ご本尊の御厨子前に奉安されている観音さまを移したものと云われている。この観音さまの縁起は、天平年間(729~748)インド僧弘道仙人により粟ヶ岳山頂に無間の鐘を懸け、世の中の安泰と万民富楽を祈念された故事に基づき、その後、弘法大師諸国巡錫の帰路粟ヶ岳に登山され、中国西安、粟菊ヶ洞から写しこられた観音像を一刀三礼を儀礼を持って刻まれ、この山に安置されたと伝えられている。爾来一千有余年「厄除け観音」と称され霊験あらたかな観音さまとして信仰を集めている。