遠州三十三観音とは

 

遠州の地に仏国土を…

 

遠州三十三観音霊場は、母に似た優しい眼差しの観音さまのお顔に接し、現代人の心癒しを願うお遍路の旅です。

「札所」とは、巡礼で巡るお寺のことです。遠州三十三観音霊場にはその名の通り三十三ヶ所の札所があります。

全国には数多くの観音霊場がありますが、なかでも代表的なのが『西国』『坂東』『秩父』の霊場で、併せて百観音霊場と称されています。

養老2年(718)に大和長谷寺の開山徳道上人が関西地方を行脚して三十三ヶ所を選んだのが最も古い巡礼の始まりと記録されています。その後、鎌倉室町時代にかけ修行僧や武士が中心だった巡礼が一般市民にも広がり始め、坂東・秩父が相次いで成立します。

江戸時代に入り庶民の暮らしも豊かになると、札所巡りは現代の観光旅行と同じで庶民の楽しみとして、お伊勢参りをしてから西国を巡り、長野の善光寺を参拝するコースが人気となり、また坂東、秩父も江戸から近いことから発展し、札所参りは江戸時代に最盛期を迎えます。

しかし、明治時代に入り政府が3~4年に発令した廃仏毀釈によって各霊場は急速に衰退し、第二次大戦以降は荒廃の一途をたどりました。その後、国内が順調な戦後復興と急激な経済成長を遂げる一方、心の安らぎを求める人々の間に観音霊場参りが再び起り始め交通機関の発達と相まって巡礼参拝者が増加し今日に至っています。

観音経には、観音さまは三十三の姿に変化して人々を救うと説かれています。三十三とは無辺、無数を意味する数で我々が心から念ずれば心身自在にどんなお姿にでもなって救ってくださることを意味しています。その数に因んで札所の数は三十三が定番となり、江戸時代以降全国各地に観音霊場が開かれてきました。

当遠州三十三観音霊場も「遠州の地に仏国土を」の理想の元に昭和59年(1984年)5月に発願開創され今に至っています。

遠州三十三観音霊場 ギャラリー(ランダム)

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