十四番札所 曹洞宗 福聚山 慈眼寺
慈眼寺 縁起
慈眼寺は寺伝によると、今あら680有余年前南北朝時代の元弘年中(1331~33)頃に開創、当初は那智山観音堂と称し天台宗であったとある。観音堂建立に際しては『遠江風土記伝』によると後醍醐天皇の皇子守永親王が東行の途中遠州灘沖で船が難破し、福田の浜より高部にきて行宮を建て17年間住まわれ没した。この時皇子に随従していた堀江新衛門中務大輔時国公が皇子の死去に歎き、一宇の観音堂を建立して供養したのが始まりとされている。その後、江戸時代の元和年中(1615~23)には観補馨察大和尚により開山。本堂を再建し福聚山慈眼寺と改め曹洞宗に改宗した。
ご本尊聖観世音菩薩は行基作の秘仏である。古来より福寄の観音さまとして信仰を集め、ご開帳は33年目毎で平常は前仏の観音さまを拝む。