七番札所 曹洞宗 曽我山 正法寺
正法寺 縁起
正法寺は元真言宗正眼院と号し、袋井市法多山尊永寺の末寺であった。その後寺は廃寺と成ったが、寺伝によれば明圓見珠和尚がこの地に来て村人たちの希望に応えて寺を再建。応永7年(1410)曹洞宗曽我山正法寺と改め自らを第一世開山したとある。第二世太意見的和尚は宝徳2年(1450)本堂建立。慶長5~8年(1600~3)の三年間に寺と十二軒の檀家にて荒地を切り起こし、田畑を造成して寺領とした。第十世大雄雲道和尚は慶長10年(1605)の正月駿府城に年頭の挨拶に登城し家康公御前において法問を命ぜられた後、家康より銀子を賜り寺勢愈隆盛に向かって行った。寺は寛永4年(1627)と明治20年(1887)2回火災に罹り本堂焼失するも、歴代の住僧及び檀信徒の協力にて再建、現在近隣随一の大伽藍を誇っている。
札所本尊の十一面観世音菩薩は頭上に十一面を有し、十一品の無明から起る迷走を断じ、六道のうち阿修羅を救済する観音とされ、特に除病滅罪求幅の為に信仰される。
当寺に宝暦7年の巡礼札があり、すでに240有余年前より参拝者の一心な称名を聞き即時に音声を感じて衆生に解脱を与えている観音さまである。